漫画家を諦めた俺が同人印刷所の人に人生を救われた話 3

前回は自分の不遇さに心を病み漫画活動を休止することを決意したらところまで話しました。今回はその続きです。

そう決めてF社の方にありのまま伝えました。F社の担当さんはSSRと言う感じではなかったですが可もなく不可もなくな編集さんだったのですが、もうその時点で自分は投稿活動に嫌気を差していたので活動をやめますと伝え、とりあえず関係を凍結することになりました。まあ凍結といってもたぶん向こうのリストから僕の名前は消えたと思います。
それが年の始めくらいだったので一年間自分を見つめ直して生きていこうと思っていました。ちょうどやってたアシスタントのバイトも連載が終わり仕事がなくなりなにも背負うことがなくなったのでとりあえず自分一人でやっていこうと考えていました。

しかしそれもモヤモヤするというか、このままでいいのか?みたいな焦燥感に煽られる毎日でした。
社会的にはニートですからね。就職しようにも職歴なしですから上手く行かず、とりあえずバイトでも…と思っていました。しかしやはり自分の人生に迷いがありこのままでいいのか?自分の人生って何だ?と自問自答する日々が続き漫画家活動を休止してリフレッシュ!なんてわけにもいきませんでした。

自分の人生は最大限楽しみたい。僕はものつくりが好きだ。漫画が好きだ。だからそうやって生きていきたい。

でもそれは叶わなかった。じゃあ僕はどうやって生きていけば…?

もう完全に自分の生き方に迷走していました。すでに24才。まだ若いかもしれません。やりなおせるかもしれません。でも自分が何をしたいのか完全に見失って身動きがとれない状態でした。

すいませんこの一連の記事のタイトルは(漫画家を諦めた俺が同人印刷所の人に人生を救われた話)です。やっとその話になります。前置き長くてすみません。

二年に及ぶ漫画家活動の中で僕は20本近くの漫画を描いていました。もちろんそのうちの九割は日の目を見ずに沈んでったものです。でも自分としてはひとつひとつが我が子のように思い入れがあり、大切な作品だったのでこのまま腐らすのはなんのためにもならない。そう考えて某イベントでまとめて短編集として頒布することにしました。さすがに全部は無理ですが誰にも見せたこと無いもの、自身のあるもの、記録として残しておきたい特に思い入れのあるものをチョイスして一冊の本にしました。ページ数も薄い本なんて言えないくらい厚くなり印刷費も痛かったですがこれだけは出したいと。

そして僕はこの本を出したら漫画を描くことを辞めようと思ってました。

そして入稿作業。印刷所の担当さんはMさん(イニシャルに意味はありません)同人誌は過去に何度も出してるしいつも同じ印刷会社を使ってるので淡々と、いつも通りにやりとりを進めていきました。

そしてすべての修正作業や調整が終わり、入稿はこれで完了。あとはもう大丈夫ですとの連絡の電話が来ました。僕は「ああ、やっと終わった。この本は僕の集大成だ。もう思い残すことはないな」と思い寂しい気持ちもありましたが電話を切ろうとしました。そのときでした。Mさんがなにか言おうとしていました。

Mさん「あの、わたしいつも仕事で入稿された原稿をチェックするときは流れ作業でミスがないかチェックするだけなんですが○○さんの漫画はとても面白く読んでいて感動してしまって、特に最後の話は目頭を熱くしながら読んでしまいました!私もイベント行くので是非買わせてください!」

…とのことでした。僕はその場では「ほんとですかー!?いやいや、とり置きしておきますよ!ほんとありがとうございます!」なんて気丈に振る舞いましたが電話を切手しばらく天井を見つめた後、

僕は声を上げて泣き崩れました。

きっと僕が欲しかった言葉はこれなんだ。今まで何本も何本も漫画を描いて出版社に持ち込んでつらい目に遭ってきたけど僕の本当に欲しいものってこれなんだ。
このために漫画を描いてたんだ。このために生きてたんだ。

僕の漫画は人の心に届くんだ。

その瞬間モヤモヤしてたすべてが夜明けの空が変わるように無くなっていきました。

僕は商業漫画家にはなれなかったかもしれない。これからもなれないかもしれない。本当になりたかったかも正直怪しい。
でも僕は漫画を描けて、表現できて、それが人の心を動かせたんだ。

自分の幸せってそういうことじゃないのか?

漫画家を諦めた俺は印刷所の人の一言に人生を救われました。

3記事に渡り僕の漫画家生活の経緯、苦難、悩み等書きましたがこのようなお話でした。今の気持ちは一人でも多くの読者に、楽しんでくれる方々に漫画を届けたい、漫画をまた描きたいと思っています。
売名行為と思われたくないのであえて匿名で投稿しましたが、僕の大事な、大事な経験だったのでこうして記録しました。僕は一生あの言葉を忘れません。この記事を読んでくれた方ありがとうございます。僕は今幸せです。

おわり

漫画家を諦めた俺が同人印刷所の人に人生を救われた話 2

前回は一社目の出版社に見切りをつけ、新しい場所で再スタートを切ることを決めたところまで話しました

そして次の出版社。仮にB社とします(イニシャルに意味はないです)
とりあえずB社に持ってくように新しい作品を描き、持ち込みに行きました。ここでも反応はよく、名刺をもらいました。もうこの時点では名刺をもらったくらいでは喜べないくらいにはなっていたのですが。担当はつく、だが一旦編集部に持ち帰り誰が受け持つか会議する的なことを言われてその日は帰されました。まあ担当がつくのか、今度はいい人だといいな、と思いその日は帰りました。そして後日。B社から連絡が来て担当者が決まったので顔合わせをしたいとのことでした。そして初めてB社での僕の担当と会うことになりました。

B社の担当さんはなんというか、高圧的というか正直第一印象から怖い人だと思いました。でも大事なのは編集者としてのスキル。そのとき手持ちにあったネーム(漫画の設計図みたいなものです)をいか3つ見せました。以下僕とB社担当の会話。

僕「どうですか?」
B「読みました。はっきり言ってネーム1と2はくそつまんないです。でもこのネーム3だけは段違いでクオリティ高いです。これでいきましょう。」

こんな感じでした。わりと語調は再現してます。こやっぱり怖いなと思いながら一本認められたことに安堵しそのネームを作品に仕上げることになりました。
それと同時並行に持ち込んだ作品が月例賞で佳作を取りました!佳作というと大抵の賞は掲載されます。ここでついに僕のデビューが決まったわけです!とてもうれしかったのですがここで担当の一言「正直佳作レベルじゃないですけど○○さんには頑張ってほしいので無理やり佳作にねじ込みました。別に恩を売るわけじゃないですけど」
…めちゃくちゃ恩売ってません?なんかこの時点で担当と僕のパワーバランスが決まってしまった感じがありました…まあでも一年以上持ち込んでデビューできなかったA社と比べてB社はものの1ヶ月程度でデビューまでこぎ着けました。ああ、やっと先に進めた。このままここで頑張っていけるんだ。そう思ったのもつかの間。実際はそうなりませんでした。

担当編集者には当たり外れがあると言いましたがここで一番最悪な奴を言います。人間性に問題のあるやつです。人として倫理観がなく作家にリスペクトを持ってない、完全に見下してるタイプの人

B社の担当はそのタイプでした。
あまり詳しい事情を書くと特定されそうなので避けますが、基本的に僕にマウントを取る形で打ち合わせは進められ、電話をすればいつもめんどくさそうに対応し、会って打ち合わせをしたいと言うと「なんで会う必要あるんですか?」と言われるような、一言で言えばパワハラをされていました。
面白くないネームを描けば言葉の暴力、アドバイスもなく面白いやつを持ってきてください。それだけ。

B社はデビューまでしましたがこの担当とやってくのは精神的に無理だ…と思いました。この記事を書いてる今ならば担当換えを申し出ることもできたと反省はしてますが…。

こうしてB社から離れまた別の編集部を探すことにしました。よくこういうのを「担当ガチャ」と言ったりします。僕はSSRの担当が出るまでリセマラをする事にしました。

その後半年間で4社まわりました。正直ここからの編集者たちは面白いエピソードありませんのでダイジェストで
C社(イニシャルに意味は以下略)は商売人思考でとにかく売れる作品を描け!と言ってました。仕事には熱心なのですが、あまりこっちの心情ややりたいことを汲み取ってくれずそれがストレスでした。D社(イニシャルに以下略)はとても編集者としてのリテラシーが高く投稿者でしかない僕に対し全ページネームを赤ペンで直してくれたり、二時間半に及ぶ長時間の打ち合わせをしてくれたりとても熱心でリテラシーの高い方でした。でも最終的にはD社は僕の実力不足で合わないと向こうから言われてしまうような形になってしまいました(でも今まで会った編集者さんで一番感謝してるのはD社の編集さんです)
E社(イニ略)は基本的に持ち込みの時点でやる気の無い方でした。この方は担当になるまでもなく帰されました。

そしてF社(イ略)に持ち込みに行きました。
F社では担当がつきました。
でもその時点で漫画仲間から僕はこう言われていました。

「○○さん流石に担当運なさすぎるよ…」

ここで初めてみんな自分にあった担当を見つけてちゃんと活動できてるということを知りました。僕は漫画は描けるのに人に恵まれず二の足を踏み続けてる状態から抜け出せてないと。もうなんというかこうなると流石に精神の方がやられてくるというか「なんで俺だけ、もっと違う人と会えたら!」ととにかく嘆く感情に苛まれてました。この時点で漫画活動二年目が終わり三年目に突入しようとしてたところ。僕は心に限界を感じ決意しました。

漫画から距離を置こう

漫画家を諦めた俺が同人印刷所の人に人生を救われた話 3 終わり

たぶん次で最後です

漫画家諦めた俺が同人印刷所の人に人生を救われた話 1

こんにちは。
はじめまして。漫画家をやっていたものです。(ペンネームは控えさせていただきます。)
今日は僕のちょっとした心の動きを書き留めて置こうと思い記事にしてみました。よろしければお付き合いください。

本題に入る前に僕の今までの経歴を。長くなりますが僕の漫画家生活を綴りたいと思います。僕は現在24才です。大学を22で卒業したあと二年間漫画家志望ないし漫画家として活動してきました。周りが就職していく中なぜそう至ったかというと、もともと美術系の学校だったことと自分が表現の中で漫画が一番得意だったからです。とはいえそれまで実はろくに漫画を描いたことはありませんでした。二次創作の同人誌を1、2冊出した程度でした。そこで初めて、オリジナルの、出版社に持ち込む用の漫画を描くことになりました。
でもそれも特に苦労はしませんでした。物語はすでに頭の中にあったし絵も得意なほうなので、不慣れなので時間もかかりプロの作品と比べると稚拙でしたが二ヶ月半くらいで最初の処女作を完成させました。その時点で大学四年の12月。もちろん就活などせず内定など無い状態。不安ともしかしたらいけるんじゃないかというわずかな希望がごちゃ混ぜの中初めての持ち込みに向かうのでした。

まず始めに持ち込んだのはA社(イニシャルに意味はありません)。少年向けの雑誌でした。自分はそのとき百合系の作品を描いて持って行ったので色が違うと蹴られることも覚悟してたのですが担当してくれた編集者さんはちゃんと読んでくれました。以下自分と編集者さんの会話。
編「おもしろいね。これ何本目?」
僕「はじめてです…」
編「はじめて!?才能あるよ!」
編「是非担当になりたいと思います。これ僕の名刺ね。」

…という感じでした。嫌みに聞こえてしまうかもしれませんが僕は初めての持ち込みで担当編集者をゲット。わからない人に説明すれば、担当編集者付くというのは一定の実力を認め、作家を育てる気がある、一緒にがんばりましょうみたいな感じです。ちなみにその漫画は雑誌の月例賞の奨励賞という一番小さな賞ですが受賞しささやかながら賞金もいただきました。(掲載には至りませんでしたが。

なにもないところからいきなり漫画家への道が開けたような気分でとてもうれしかったです。卒業後はもう漫画家活動をしていこうと思いバイトをしながら漫画を描き出版社に持って行き、担当編集者と打ち合わせやだめ出しを受け賞に出す。その過程でたくさんの作品を描きました。そうたくさんの作品を描いたんです。

季節は初めての持ち込みから一巡しさらに二度目の春が終わる頃。僕は何にも進歩してませんでした。期間で言うと約一年半かな。最初の賞を取って以来次の賞も取れずお金にもならない、公開もされない、そんな漫画を量産する日々でした…。これは僕の経験の無さもあるのですが一つの疑念を持つようになりました。その担当者さんは頑なに40ページ以上可能なら50ページちょうどの漫画を描かせようとしていたのです。最初こそ従ってそのように描いていましたがハッキリ言って投稿者の読み切り作品で50ページは多すぎます。ちょっと調べるとわかりますがある新人賞の規定は35p以内とかそんなもんです。僕は一年以上かけてようやく気づきました。「この担当さんおかしくないか?」それで聞きました。なんで担当さんさんは40ページ以上の漫画しか描いちゃいけないって言うんですか?と。そうしたら返答はこうでした

「だって40ページ以下の漫画って薄っぺらくてつまらないじゃん!」

……編集者には当たり外れがあります。編集者も人間なので、みな解っていて優秀なんてことありません。ほんとは別部署を希望したのに配属されたから仕方なく漫画雑誌をしてる人、そもそも漫画に興味ない人、いろいろ居ます。

ハッキリ言って僕の初めての担当さんは「ハズレ」でした。漫画をよく読んでる方は面白いなって思った読み切りなどのページ数を数えてみてください。確かに中には50ページ以上ある長いのもある。だけど24~36ページのものでもとてもおもしろい作品もあります。ちなみに僕は羽海野チカ先生の「スピカ」という短編が好きです。アレは24pくらいだったはず。

この時点でこの担当に不信感を抱きました。この人はちゃんと漫画を読んでる方なのかな?と。
そしてハッキリ言って長ページの読み切りを描くエネルギーはかなり消耗します。このままこのペースで実にならない漫画を描くのもつらい。

そうして僕は一年と3ヶ月つき合ったA社を離れ別の出版社に向かうのでした。

漫画家を諦めた俺が同人印刷所の人に人生を救われた話1完

第二部に続く