漫画家諦めた俺が同人印刷所の人に人生を救われた話 1

こんにちは。
はじめまして。漫画家をやっていたものです。(ペンネームは控えさせていただきます。)
今日は僕のちょっとした心の動きを書き留めて置こうと思い記事にしてみました。よろしければお付き合いください。

本題に入る前に僕の今までの経歴を。長くなりますが僕の漫画家生活を綴りたいと思います。僕は現在24才です。大学を22で卒業したあと二年間漫画家志望ないし漫画家として活動してきました。周りが就職していく中なぜそう至ったかというと、もともと美術系の学校だったことと自分が表現の中で漫画が一番得意だったからです。とはいえそれまで実はろくに漫画を描いたことはありませんでした。二次創作の同人誌を1、2冊出した程度でした。そこで初めて、オリジナルの、出版社に持ち込む用の漫画を描くことになりました。
でもそれも特に苦労はしませんでした。物語はすでに頭の中にあったし絵も得意なほうなので、不慣れなので時間もかかりプロの作品と比べると稚拙でしたが二ヶ月半くらいで最初の処女作を完成させました。その時点で大学四年の12月。もちろん就活などせず内定など無い状態。不安ともしかしたらいけるんじゃないかというわずかな希望がごちゃ混ぜの中初めての持ち込みに向かうのでした。

まず始めに持ち込んだのはA社(イニシャルに意味はありません)。少年向けの雑誌でした。自分はそのとき百合系の作品を描いて持って行ったので色が違うと蹴られることも覚悟してたのですが担当してくれた編集者さんはちゃんと読んでくれました。以下自分と編集者さんの会話。
編「おもしろいね。これ何本目?」
僕「はじめてです…」
編「はじめて!?才能あるよ!」
編「是非担当になりたいと思います。これ僕の名刺ね。」

…という感じでした。嫌みに聞こえてしまうかもしれませんが僕は初めての持ち込みで担当編集者をゲット。わからない人に説明すれば、担当編集者付くというのは一定の実力を認め、作家を育てる気がある、一緒にがんばりましょうみたいな感じです。ちなみにその漫画は雑誌の月例賞の奨励賞という一番小さな賞ですが受賞しささやかながら賞金もいただきました。(掲載には至りませんでしたが。

なにもないところからいきなり漫画家への道が開けたような気分でとてもうれしかったです。卒業後はもう漫画家活動をしていこうと思いバイトをしながら漫画を描き出版社に持って行き、担当編集者と打ち合わせやだめ出しを受け賞に出す。その過程でたくさんの作品を描きました。そうたくさんの作品を描いたんです。

季節は初めての持ち込みから一巡しさらに二度目の春が終わる頃。僕は何にも進歩してませんでした。期間で言うと約一年半かな。最初の賞を取って以来次の賞も取れずお金にもならない、公開もされない、そんな漫画を量産する日々でした…。これは僕の経験の無さもあるのですが一つの疑念を持つようになりました。その担当者さんは頑なに40ページ以上可能なら50ページちょうどの漫画を描かせようとしていたのです。最初こそ従ってそのように描いていましたがハッキリ言って投稿者の読み切り作品で50ページは多すぎます。ちょっと調べるとわかりますがある新人賞の規定は35p以内とかそんなもんです。僕は一年以上かけてようやく気づきました。「この担当さんおかしくないか?」それで聞きました。なんで担当さんさんは40ページ以上の漫画しか描いちゃいけないって言うんですか?と。そうしたら返答はこうでした

「だって40ページ以下の漫画って薄っぺらくてつまらないじゃん!」

……編集者には当たり外れがあります。編集者も人間なので、みな解っていて優秀なんてことありません。ほんとは別部署を希望したのに配属されたから仕方なく漫画雑誌をしてる人、そもそも漫画に興味ない人、いろいろ居ます。

ハッキリ言って僕の初めての担当さんは「ハズレ」でした。漫画をよく読んでる方は面白いなって思った読み切りなどのページ数を数えてみてください。確かに中には50ページ以上ある長いのもある。だけど24~36ページのものでもとてもおもしろい作品もあります。ちなみに僕は羽海野チカ先生の「スピカ」という短編が好きです。アレは24pくらいだったはず。

この時点でこの担当に不信感を抱きました。この人はちゃんと漫画を読んでる方なのかな?と。
そしてハッキリ言って長ページの読み切りを描くエネルギーはかなり消耗します。このままこのペースで実にならない漫画を描くのもつらい。

そうして僕は一年と3ヶ月つき合ったA社を離れ別の出版社に向かうのでした。

漫画家を諦めた俺が同人印刷所の人に人生を救われた話1完

第二部に続く